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東日本大震災

この日、私は地震発生時、仕事の関係で1人遅いランチに出掛けており、
2口くらい食べたところで地震に遭遇しました。
駅ビルにあるお店でランチをしたのですが、ひどい揺れでした。
カフェ風のお店だったため丸いテーブルは小さく、テーブル下に潜っても背中などは
出てる状態でした。
頭の上からはお冷グラスや食器などがガンガン落ちてきて満席だった店内は大パニック。
壁だと思っていたものは床が外れて?おり、考えられないふり幅で揺れておりました。
キッチンからは食器がものすごい音を立てて割れており、火を水で消したのか
煙も出ておりました。
天井からは、ところどころ水が降ってきていました。
床はテーブルなどから落ちた食器類があちこちで割れている状態。
少し揺れがおさまった時にスタッフさんの「逃げてください!」の声と共に非難。
お隣に座っていた若い女性は、私と同じく1人でランチに来ていたようなのですが、
震えて泣き出してしまっていたため、見知らぬ方でしたが声をかけて一緒に建物の外まで
逃げました。

逃げる最中、雑貨屋さんの食器やグラスが崩壊状態ですざましいガラスの破片が
床に散乱。
天井の一部がところどころ落下したものが散乱。そして数箇所から天井より
水漏れしており、非難しながらもかなりの恐怖でした。
駅ビルってこんなにもろいの???と。
ちなみに駅構内も数箇所、天井より水がジャージャー落ちてきておりました。

駅ビルの外まで出ると、駅前のロータリーは右往左往している人でごったがえし、
携帯電話は通話もメールも全くできない状態でした。
私は職場に戻るため、一緒に逃げた女性とはこちらで別れました。
余震が続く中、会社のビルまで戻るべきなのか(絶対ロータリーにいた方が安全)と
悩みましたがコートや荷物も会社にあるため、とりあえず一度戻ることにしました。

会社に戻る途中、近くにウェディング関係のビルがあるのですが、シャンデリアの
ような飾りがガシャンガシャンと落下。余震のたびに次々落ちてきている状態でした。
お酒を置いているお店からは赤ワインなどが流れ出ておりました。
なんだかもぅ、何が起きてるの???という感じでした。
会社の皆さんと合流した後、避難場所に指定されている小学校へ移動しましたが、
街中であるため小学校の校庭は狭く、近くにある会社は全てそこに逃げてきているため、
結構ギュウギュウ。。。
ここでまた地震があったら、結構危ない感じでした。
小学校の校庭に避難してほどなく、旦那様から携帯に連絡が来ました。
しかしなぜか音声が遠く聞き取れる言葉は少なかったのですが、私の安否を
とても心配してくれている事と、恐らく今日は帰れないとの事でした。
実家に向かうのでも良いし、自宅に戻るのでもよいし、会社に留まるというのなら
それでもいいが、連絡して欲しいという事でした。

我が家では常にこういった事があった場合どうするか?という話をしており、

◎旦那様の場合◎
会社はかなり安全なつくりで、その会社が倒れる時は恐らく相当なものであるため、
無理に動かず時期を待つ。

◎私の場合◎
自宅と会社は徒歩でも1時間かからない距離。現在の自宅は公共の建物で
小学校のようなつくりで頑丈であるため、帰れるようであれば自宅に帰る。
避難指示が出たら、その指示に従う。

今回、実家に向かうという事も考えましたが、遠いというのと、実家よりも自宅の方が
建物は安全なので、両親をこちらに呼ぶことはあっても私が行くのは違うと考えました。

また旦那様から「今日は帰れない」と聞いたとき「しっかりしなきゃ!」とそれまで不安に
思っていた自分がシャンっとしたのを覚えています。
彼は札幌時代、私が熱を出して会社から帰ってきただけでも心配して仕事中なのに
一瞬だけ自宅によって、私のためにケーキを届けてくれるくらい優しい人です。
その彼が戻れないというのは、徒歩で帰るのは無謀だし危険を伴うという事。
そして彼の仕事がライフラインの1つを担っているから。
危険をおかしてでも帰らなければならない人もいるでしょう。
でも全員が帰る訳には行かない状況である事も充分理解できていました。
後から聞いた話は、刻々と被害を受けるライフラインの危機迫る状況の中に
彼はいました。
「私は大丈夫。自宅に帰るから連絡してね。」と伝えました。

その後も余震はかなり続きましたが、驚くべきことに仕事を再開しろとの指示。
この非常時に携帯電話はロッカーに入れなければならず、電話もメールも旦那様に
届かないまま仕事に戻りました。
このままビル倒壊したら、旦那さんはきっとあのまま自宅に帰ったと思ってるだろうから
心配するだろうな・・・と考えながら仕事を続けておりました。
しかし、さすがに異常事態と気付いた(遅い!)会社は、やっと17時半過ぎに帰ってよい
という指示が出ました。
しかし、すでにJRは全線ストップ。バスターミナルはバスやタクシーを2時間以上
待っているという人がトグロを巻いているパニック状態になっていました。
バスでの帰宅を諦め、テクテクと歩いて帰りました。
途中、普段は全く気付かない公衆電話には長い列が出来ていました。
1人で帰りましたが、徒歩帰宅者が大勢いたため不安はなかったです。
都心のような牛歩ではなく、普通に歩けました。

1時間もかからず自宅に到着。
前日に買ったばかりのお花が玄関に飾ってあったので、きっとドアを開けたら
割れちゃってるんだろうな~っと思って、そぉ~っと開けて見ると・・・。
まぁビックリ!花瓶もチューリップもピンピン元気でした(◎^^◎)
一安心♪
で、リビングの扉を開けて電気を付けようとしたところ、足元でバリっという鈍い音が・・。
「何???」と思って急いで電気を付けると、そこにはなんと!
パスタが散乱しておりました・・・(_ _;)
「お花が倒れてないのに、なぜパスタ・・・」と疑問に思いつつ、それ以外には特に被害が
ない事を確認。
キッチンからすごい勢いでパスタ入れだけが飛び出してしまったようです。

揺れの割にはあまり被害がなくって良かった!とテレビをつけて目を疑いました。
そう、私の会社ではネットを見ることも出来ず、テレビを見る事も出来なかったため
状況が全くわかっていなかったのです。
風の噂で仙台の方が大変な事になってるらしい・・・という事くらいしか知らなかった私。
目の前で流れるテレビの映像が信じられなくて、しばらく声が出ませんでした。
ハっと我に返り、
急いでパスタを片付けて、余震が続く中、ガラス関係の物を全て片付け、上にある物は
全て床に下ろす作業を続けました。
合わせて断水に備えてお風呂にお湯を張ったり、ティファールでお湯を沸かしたり。
停電に備えてロウソクや懐中電灯を準備。
非常食など、取り出しやすい場所へ移動。
余震が続くため、マグカップを含めて全ての食器をバーベキュー用のプラスチックに変更。
かなりバタバタしておりました。

一通り終わってみると、電話機に着信があったことを知らせるランプが。
見ると、旦那様が何度も会社からかけてくれている事が分かりました。
こちらから掛けようにも制限がかけられているため携帯もメールも電話も通じないため、
旦那様からの連絡を待つ状態でした。
彼は1時間に1回は必ず連絡をくれていたので不安は全くありませんでしたが、
かなり頻繁にテレビの緊急地震速報の音と共にテーブルの下に入ったりして、
全く落ち着かず。

そしてなぜかお風呂の自動お湯張り機能が作動せず、おかしいな~っと、旦那様からの
電話の際に伝えたところ「ガスはつくか?」と。
「・・・あー、付かないねぇ。」
そう、ガスメーターが地震の影響で落ちてしまったようなのです。
ガスがロックされてしまっているから正常にお湯張り機能が作動しなかったんですね~。。。
簡単な復旧作業のようなのですが、当時は東京ガスのHPには全くアクセスできず、まぁ
この夜は怖くてお風呂も入れないから、また落ち着いたら操作する事にしました。
が、しばらくして旦那様から連絡が入り、赤いポッチを押す作業などをすれば、すぐに
復旧することが判明。
同じようにHP見てるはずなんだけど、やはり旦那様の方が早いです(^^;)
無事にガスが復旧し、お湯張り完了。
我が家の場合、自動にしないでお湯を張ろうとすると、シャワーを浴槽内に入れるしかなく
我が家のシャワーは節水用なので時間かかるのよね。困ったもんだわ。

結局、お洋服も着たまま、お化粧も落とさないまま朝を迎えました。

旦那様は翌日になってもJRが完全復旧はしていなかったため、地下鉄や私鉄を乗り継ぎ
乗り継ぎ、ヒーコラヒーコラ12時くらいに帰ってきました。
無事に帰ってきて良かった良かった!
当然、旦那様も一睡もしていなかったため、その後は2人ともずっと寝ておりました。
ただ余震は続いておりましたので、テレビはつけたままでした。
by nanahira | 2011-03-11 23:43 | 日々のこと
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